TL; DR
未薄明ながら雲流る空は一様に濃藍に染めて、真直に長く南より北へ横たはれる大道は掃きたるやうに物の影を留めず。いと寂くも往来の絶えたるに、例ならず繁げき車輪の輾りは、或は忙しかりし、或は過ぎし撮影の帰来りなるべく、疎らになりし彼方より此方へのこの遠響きは、はや今日に尽きぬる天体撮影遠征を惜むが如く、その哀切さに小き腸は断れぬべし。
転失気夜叉(尾崎紅葉)
木曜日曇天、金曜日夜露甚し、土曜日快晴と誌されたる天気予報を信じ磐城への遠征を図りて、当日予報の悪化に胸中木枯らしが戦ぎ出ぬ。今は「雲よ出るな、雨よ降るな」と猫撫で声で宥むるグラサンシより、憤りをも増したるやうにツイツタアに書き作りつつ、干からびたる出臍大根のやうになりたり顔を陽に晒し顔を顰め、吼えては走行き、狂ひては引き返し、揉みに揉んで独り散々に騒げり。微曇りになりたし予報は、これが為に眠気を覚まされたる気色にて、乾燥した苦辛喉の如く鬱屈とした気分を想いはしむるまでに、その薄明かりにさらさるる朝方の心持ち氷らんとするなり。
グラサンシは、星沼會一同で撮影に征かぬとて遠征地を磐城国に決めたれど、雲行き怪しく暗雲垂れ込め暗鬱とした気分に塞ぐ。当日昼前になるとてM&M氏から「やや、ねぶりのみするときに非じ。起きよ。Aramis氏と長野にこそ征けめ。Niwa氏を具して上信せむや」と入れり。Niwa氏とは甲府の盆地にて落ち合えり。遠征地は信濃中部原村、まるやち湖とせり。
遠征地に入りて辺りを眺めれば、皆紅に染まりし天の深さ、まさしく聳える連峰の山麓、目前に控えるろうたし池沼、いとつきづきし。此度も「えんせひだうが」を誂えむとて、湖の目前にてNiwa氏のダイアログを撮影せり。遠征地にはAramis氏、M&M氏、Niwa氏、だぼ氏、さらに星屋氏が共に集えり。
夜が落ちぬ。
微曇空と信じて諦観の下に西に車を回した甲斐あらむや。眠りを覚さまされたる気色にて、銀梨子地の如く無数の星を顕して、鋭く沍たる光は寒気を発つかと想しむるまでに、その薄明に曝さるる夜の殆氷らんとすなり。
人この裏うちに立ちて寥々冥々たる四望の間に、争か那の世間あり、社会あり、都あり、町あることを想得べき、九重の天、八際の地、始めて混沌の境を出たりといへども、万物未だ尽く化生せず、風は試みに吹き、寒冷前線の通過に伴へり雷雲も彼方にて幽かに光りて、星は新に輝ける一大荒原の、何等の旨意も、秩序も、趣味も無くて、唯濫りに貌ひろく横たはれるに過ぎざる哉。
「いといみじ」Niwa氏、八ヶ岳の上に散りばめたる星を眺めしみじみ息つきぬ。
「もう撮影は出来るのかな」
「へい、今日の薄明は1930となつております」
今編の遠征動画はNiwa氏のダヒヤログウから始まりダヒヤログウに終わると決心せり、動画のクリツプを撮りつつ、プロツトを腦内で組み立てつつ、片手間にてエヒピヒテイの撮影をクリツクせしめ、一刻が過ぎたり。
「あなや!」グラサンシが叫びて声を上げども、他所さわぎにてNiwa氏のみ聞かざりけり。
「これはまずいぞ、エヒピヒテイのクウリングエヒドを忘れてしまつていた」
Niwa氏手を打ちて笑へり。
「一時間の露光がパアではないか。やはり師弟関係は濃いということか」
グラサンシが喋つた残滓の白い湯気は虚空に吸い込まれていつた。 「あじゃぱー」
日の中は宛然沸くが如く楽み、謳ひ、酔ひ、戯れ、歓び、笑ひ、語り、興ぜし人々も、儚くも果てし人々も、今は亦た何処くに如何にして在るかを疑はざらんとするも難からずや。普段は物事に熱い思ひを只多からず少なからず抱き、挑み、そして天気予報に一喜一憂し、天体写真の出来に落ち込み、西国諸氏の撮影のクオリヤを認めまた落ち込む我々も、只々空を彩る星の微な煌き一々を逃さぬとて、じつと眺めり。
静なりし後のち、遙かに星々の音は潰えぬ。その響き消ゆる頃、Arami氏、M&M氏は機材を畳みて何処にか帰らぬ。暫くの後、たちまち辺りには薄明の光が満ちて夜が白まぬ。夜は寂し消えてひた燈火が見え初めしが、揺々と街区のまた外れを横切りて照らさぬ。赤々とした陽光の漏れ伝い歩ひて届いた光が辺りを藍から橙に染め抜く中でNiwa氏のダヒヤログウを収めり。
皆、一度の新月が来て、亦過ぎたことを悟らん。
八ヶ岳の南に一朶の雲が漂い消えてゆく。一団の天体撮影を掻き立て、居心地悪き微な温もりの四方に溢るるとともに、垢臭き悪気の盛んに迸るに遭える車あり。ただ我々を染め抜く陽光と同じ赤心を暗に示しながら勢ひで角より曲がりに来にければ、語るべきことなしと草原の中を駈抜ぬけたり