令和三年四月星鍋

TL; DR

glasnsciです。本日は、そーなのかー氏さんが作った美味しいちゃんこ鍋をアクだらけの文章にしてお送りします。

星鍋動画@蔵王

本文

或る晴れた春の日暮れである。ワタクシはつい今しがた撮影地の駐車場に到着した、上野發軽自動車の隅に腰を下して、ぼんやり大顧問の喋る声を待つてゐた。とうに夕暮れとなつた車窓を通して、珍らしくワタクシの外に数名の天文フアンが侍るのを見た。そーなのかー氏、大顧問、そして大顧問の連れ立つて来た天文部員であつた。影を伸ばしつつある木々を見上げると、絵の具を垂らしたような薄青と淡ひ橙に染まつた宮城の空も、春の空にしては珍しく澄みとおつた、ちらつきのない様子を惜しげもなく晒してゐた。唯、空を飛び交ふのに疲れたYaTeXーー烏たちが一羽二羽と、時時悲しさうに、鳴き立たててゐた。これらはその時のワタクシの心もちと、不思議な位似つかはしい景色だつた。ワタクシの頭の中には云いやうのない星鍋動画への憧憬と倦怠とが、まるで雪曇りの空のやうなどんよりした影を落としてゐた。ワタクシは一枚のシヤツを羽織り、トラウザアズのポケツトへぢつと兩手をつつこんだ儘、そこに入つてゐるレンズキヤツプを出して見ようと云ふ元氣さへ起こらなかつた。

「それではですね、今日はRASAの正しいあつかひ方を授けやうと思ひます」「蓋をつけて持ち上げやうとすると事故が起こるので気をつけ給へ」と大顧問がカメラの前でトーキーの撮影をしてひた。

 が、やがて天文薄明が終わつた。ワタクシはかすかな心の寛ろぎを感じながら、後ろの窓枠へ頭をもたせて、眼の前のオライオンがいそいそとさそりから逃げる様子を待ち構へてゐた。ところが、それよりも先にけたたましい自動導入の音が数米先の四方から聞こえだしたと思ふと、まもなく大顧問のなにか言い罵る声が聞こえて来た。

「オートガイダアが認識しなひ」「これは困つた」「もう終わりじゃ。出家したひ」

その頃徐に同行のそーなのかー氏とワタクシは撮影を始め、大顧問が四苦八苦する様子を見てゐた。ビードロのように透き通つた夜空を試験的に撮影したコマを眺めて、ワタクシは漸くほつとした心持ちになつて、お湯を心待ちにする天文部員らのためにOD缶のガスバーナアに点火し乍ら、そーなのかー氏のガソリンバーナアが未練がましく煤を吐き暗夜に立ち上る橙の炎をを眺め懶いまぶたを上げて帰りの行程を一瞥した。

それは長い長い宮城縣から神奈川縣への旅程だつた。横撫での痕のある罅だらけの軽自動車を、気持ちの悪いほど赤く染めた、如何にも田舎者らしい車であつた。しかも高速道路での移動であつた。ワタクシはこの旅程を見ると暗鬱とした気持ちになりひどく不快になつた。撮影地の遠近を考へずに出立した愚鈍な6時間前の自らを恥じた。最後に、SCWが翌日の日曜日の夜も晴れを指してゐたのが腹立たしかつた。だから、その徹夜明けの辛い帰宅路を忘れたひといふ心もちもあつて、バーナアががうがうと音を立てて炎を吐き出す様子をただただ眺めてひた。するとそのとき、突然夜空を見上げてひた部員が叫んだ。

「星が、流れた」「おお、シユーテイングスタアだ」

しかしその星明かりに照らされる面々を見渡しても、やはり大顧問の憂鬱を慰むには平凡な出来事ばかりであつた。カメラの接続エラアが大顧問に重くのしかかつてゐた。一方で、ワタクシは撮影地に入つた瞬間から、赤道儀のガイドが西から東へ進むような錯覚を感じ乍ら、えも言われぬ高揚感を感じてゐた。廿一時過ぎになり撮影が安定すると大顧問は飯盒炊爨を始め、またトーキーを撮り始めた。

「ええとですね、今日は星鍋動画ということで、飯盒炊爨をしたひと思います」「この蓋は、カレエのルウを設置せしめるためにあるのです」

夜半も過ぎ、薄明が始まるともうやすやすと東天は明るくなり、枯れ草の山と山の間に挟まれた、仙臺の街明かりが薄れ始めた。撮影地の近くにはいずれも見すぼらしい木立がごみごみと狭苦しく立ち混んで、近所の百姓が設置したのであらう、鹿除けの笛がピイピイと鳴り響いてゐた。やっと撮影が終わつた、片付けよう、と思もつた、そのとき鬱蒼とした山塊の奥から朝日が顔を出した。夜明けの移ろひが、我々の顔を照らすと、ワタクシは頬の赤い四人の学生が目白押しに並んで立つていたのを見た。彼らはみな、この氷点下に押しすくめられたかと思ふほど、揃って頬を染めてゐた。赤赤とした陽光が差し込むのを見ながら、一晩なんとも意味のわからない喊声を上げ続けた喉を鳴らしながらながら、また叫んでゐた。

ワタクシは撤収を終え、車に乗り込むやいなや、早速勢いよく車を転がし始めた。まだ春早い宮城のアスフアルトに立つ二人の天文フアンと、その学生たちと、さうしてその上に乱落する鮮やかな星々の色と――全ては撮影の最中にまたたく間もなく通り過ぎた事象を思い出した。遠征地に到着したときと同様、薄く紫づいた雲が山々の暖簾から顔をだしたり引っ込めてゐたが、ワタクシの心の上には、切ないほどはつきりと、この光景が焼き付けられた。さうしてそこから、或る得体のしれない朗らかな心もちが湧き上がつて来るのを意識した。ワタクシは公然と頭を挙げて、まるで別人のように大地を照らす太陽を注視した。

ワタクシはこのとき初めて言いやうのない疲労と倦怠とを、そうしてまた不可解な、下等な、退屈な人生を僅かに忘れることができ、そしてまた遠征に行かうと誓つたのであつた。 (令和二年四月作)